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元TBSキャスター杉尾秀哉氏、宮崎でトークセッション







 201649日、宮崎市民文化ホール・イベントホールにおきまして、元TBSキャスターで現在、民進党長野県参議院選挙区第3総支部長の杉尾秀哉氏を招いての「トークセッション『メディアと政治』」(主催:県議会議員・渡辺創事務所)が開催されました。









 なぜ、長野県選挙区の杉尾氏が宮崎で講演をするのか、それは杉尾氏の本籍が宮崎市佐土原町にあるからです。


 会場には、杉尾氏のご親戚の方もお見えでした。

 トークセッションは、主催者である宮崎県議会議員で、民進党宮崎県連幹事長の渡辺創氏の司会で進められました。







 今回は、そのトークセッションで杉尾氏の発言内容を書き取れる範囲で記録しましたので、それをお届けしたいと思います。
 
 記録上、箇条書きになってしまう部分もございますが、どうぞご了承ください。


○渡辺氏による杉尾氏の紹介


○杉尾氏による自己紹介 

 本籍は、現在は宮崎市に編入された佐土原町にある。

 高校時代は卓球部、放送部に在籍し、大学は放送とはまったく関係がないアメリカンフットボール部に所属していた。

 就職を考える時期になり、昔在籍していた放送部の経験と、様々なことを追及したいとい思いから、テレビ局を選んだ。TBSに入社した。

 社会部に10年間いて、その後、政治部へ。主に自民党竹下派を取材していた。

 その後、上司からキャスターにならないかと打診受けたが、もともとアナウンサー志望ではなく、子どものころ吃音があり、矯正学校に通っていた。そのため、人の前で話すことには抵抗があった。

 しかし、自分のポリシーである「どうせ後悔するのであれば、やってみて(経験してみて)失敗するほうが良い」ということから、キャスターを20数年間やってきた。

 キャスターとして、「分かる話し方」に気を付け、言葉遣い、しゃべり方に気を配るとともに、多様な論点を出すことで、視聴者にも考えてもらえるようにしてきた。

 しかし、知らず知らずのうちに人を傷つけていることもあり、表現の難しさを痛感するとともに、人権なども配慮してきた。


○取材の現場にて

 阪神大震災では自宅が半壊したこともあり、かなり思い入れがある取材となった。

 現場で取材を続けていくと、どうしても「感情移入」が起きてしまう。サイゴン陥落を取材した開高健氏の名言に、

右の目は熱く、左の目は冷たく、心には氷の炎を持て」がある。

 これは、「熱くなるだけでは、物事を冷静に見ることができなくなりる。一方、冷めた目でしか見ないと、何事にも否定的・消極的になってしま。熱い目と冷めた目、熱い心と冷静な心を同時に持ち合わせることが大切なのである」ということ

 なかなか難しいことでだが、この言葉を良く思い出す。








○国際政治の現場で

 2000年アメリカ大統領選が印象に残っている。取材を進めていく中で、「対米一辺倒で良いのか?」といつも思っていた。その思いが今につながっている。

 今回の「安保法」の件では、実に多くの市民が声を上げた。インターネット、メディア、SNSで発信した。「アラブの春」とは違ったカタチだが、日本の歴史の転換点となった。

 それは奇しくも「戦後70年」の節目のであり、2015年はエポックメーキングの年となった。

 多くの市民が考えながら行動するようになった。


○報道の自由度について

 メディアと政治の関係がぎくしゃくしている。今回、直接的な「杉尾おろし」はなかったが、間接的な圧力はあった。

 報道に携わる関係者の中に「萎縮」の空気はあった。

 「ニュース23」「クローズアップ現代」「報道ステーション」のキャスターたちには、直接的な圧力はなかったが、社内での雰囲気はそう感じた。これは決して偶然ではない。

 担当大臣による「停波発言」は、報道機関には死活問題である。これらの報道にかかわる問題に対応するためには、会社内では限界がある。そのため、退社を考えた。


○報道への圧力はいつから?

 「特定秘密保護法」「集団的自衛権の閣議決定」「安保法」と確実に圧力は高まってきている。そして、その後にあるのは「憲法改正」である。安倍政府は、国民に信を問うていない。
 
 「アベノミクス」で経済面の成功をアピールしているが、やはり、「安保法」。みんなが同じ方向を向かされている。国民ひとりひとりが、違うことを違うといえる社会でなければならない。

 取材、報道の現場では、もっと報道人にがんばってほしい。

 自分で行動を起こすしかないのである。メディアにはもっと行動を起こしてほしい。


○選挙について

 出馬を予定している参議院長野選挙区は、これまで2人区であったが、今回から1人区になった。その選挙区に飛び込むことになったターニングポイントは、2年前だった。
 
 2年前、生みの親、育ての親3人を相次いで亡くし、また、友人も亡くなった。「人生悔いなく生きたい」と考え、「世のため人のためにできること」として、政治の道を目指すことを決めた。

 今回の安保法や国会を見ていると、怒りを覚える。

 「私の解釈は正しい。それは、私が総理大臣であるから」という発言。粗雑な今回答弁。安倍首相はおじいちゃんのリベンジをしようとしている。

 民意を重視しなければならないのだが、今の国会には、議論のプロセスがない。

 今の自民党には自民党らしさがない。政治には緊張感が必要である。もちろん、民進党も変わっていかなければならない。

 後悔したくはない。やって失敗するほうが良い。選挙に勝つためには、目的や手段は選らばない。


○安倍政治の本質

 ウソで塗り固められた強権政治である。

 アベノミクスはこれ以上無理。

 TPPではウソをついた。

 聖域5項目はあれで良かったのか。

 国会答弁で安倍首相は「私は一度もTPP反対とは言っていない」と発言している。ウソである。


○参加者との質疑応答から

参加者:安倍首相は「同一労働同一賃金」についてどこまで考えているのか?

杉尾氏:あれは今年になってから言い始めたことで、選挙向けであり、下心がある。どこまで本気なのか分からない。いわゆるスローガン選挙なので、国民は監視しなければならない。


参加者:今後の有効な情報発信のあり方は?

杉尾氏:自民党はほとんどが「右」に偏ってしまい、いわゆる「ニュートラル」がごそって抜けている。そこに「中道リベラル勢力」を結集していくためには、今の活動を継続させる必要がある。


参加者:原発、東日本大震災関連の質問

杉尾氏:東日本大震災では、本当に東日本壊滅の危機を感じた。日本は終わったと思った原発政策はそれぞれに立場の違いはあるが、できるだけ早く原発をゼロにしなければならない。また、安倍政権は原発政策に対する反省をしなければならない。


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 以上が、私がメモした内容です。

 補足、間違っている部分がございましたら、コメント欄でご指摘ください。

 トークセッション後には、今夏の参院選の立候補予定者である読谷山洋司氏が登壇し、杉尾秀哉氏と握手を交わしました。








 杉尾氏は飛行機の時間があるということで、会場の参加者と十分に握手等をするともなく空港へ。


 今回「メディアと政治」というテーマでのトークセッションでしたが、もうちょっと杉尾氏からメディアの現場に関する話や政治の舞台裏に関する話が聞きたかったですね。




 それにしても、杉尾氏と宮崎には接点があったことに驚きでした。




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