東日本大震災から今日で7年。
発生から3か月後に、私は宮崎市の防災ボランティアの一員として岩手県陸前高田市に入りました。
本格的なボランティア活動を前に、陸前高田市、大船渡市の被害の状況を視察させていただきました。
その光景を目の当たりにして、私たちにどれくらいのことができるのか、とても不安を感じました。
田んぼや畑の中で生活用品や写真、教科書等を見つけるたびに、丁重に取り扱い、ボランティアセンターへ持ち帰りました。
できることって限られている中で、様々な思いのほうが大きかったですね。
毎日のボランティアセンターへ向かう足取りが重い日もありましたが、自分ができることは少しはできたかなと思ったりしています。
陸前高田市広田の田んぼをボランティア仲間できれいになるように作業しましたが、あれからお米が穫れるようになったのでしょうか?
その後、陸前高田市には足を運んでいませんが、いつか出かけてみたいと思います。
今まさに、霧島連山・新燃岳が噴火を続けています。
私たちは自然と共存していかなければ生きていけません。
自然への恐れとともに、被害を少なくするための対策を日ごろから講じなければなりません。
自助・互助・共助・公助のなかで、まず、自分ででこることからきちんとやっておきたいですね。
東日本大震災でお亡くなりなられました皆さん、安らかにおやすみください。
7年経った今でもまだ復興の道半ばの皆さんが、少しでも前へ進めるようにご祈念いたします。
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