学生時代に住んでいた沖縄県宜野湾市我如古の民間の寮。
この寮の屋上から普天間基地が見えた。直線距離にしても2Km ぐらいだっただろうか。毎朝、ヘリの音で起こされた。
部屋の窓ガラスが揺れるほどの振動もたまにはあったが、寮は古
31年前のできごと。
部屋の整理をしていたら懐かしい写真が出てきたので、スキャン
今年の私の終戦の日特集は、「沖縄」にしましょうか。
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本土復帰9年目の1981年、1年浪人して琉球大学教育学部小
その当時、琉球大学は那覇市首里の守礼門あたりにあった。学生運動は以前さかんで、授業中に学生運動家たちが乱入してくると、休講になった。
そのような光景を目にしたのは1年足らずだった。琉球大学が首
首里にキャンパスがあった頃は、それはハチャメチャだった。
ちょうど、とんねるずの一気飲みが社会問題化した前後で、新歓
沖縄では思いっきり遊ぼうと考えていた私は、なぜか学生協の組
そんな政治的な背景を知らない馬鹿な私は、組織部にいた可愛い
が、月に1回はみんなで勉強会と称して、書物を読んだりこれか
ドライブと泡盛と民青の日々が続いてからしばらくして、私を監
で、ある日の夜、当時、高校生の同級生たちと那覇市の繁多川に
近くの公園で話した。
どうやら、私が所属していた学部の理科専攻科に大学8年生の大
お前がこれ以上民青と関わると、この理科では一緒にやっていけ
「あ、そうですか」って答えた私は、正直、革マル派のことが分
分かっていたのは、民青には可愛い女の子がいるけど、革マル派
それから1週間、毎晩、やってきた。
で、最後には、大学の寮の大先輩の部屋へ連れて行かれ、面通し
いくら馬鹿でも、テレビや新聞で情報はあるので、「リンチにされるのか・・・」と少し不安ではあったが。
大学8年生といえば、歳で26歳ぐらいですか?でも、その大先
民青に対して態度を決めかねている私を見て、「だったら、やめ
剣道部に入った私は、毎日の練習が終わるたびに飲み会があり、
というのも、剣道部には女子もいたが、可愛いどころか強くて怖
特に練習後の飲み会では、1年生は毎回のように先輩たちとあい
剣道は少しも強くはならなかったが、泡盛には強くなった。
「瑞穂」「瑞泉」「久米仙」・・・
飲んだ勢いで、先輩命令が出される。
夏のある日、先輩から出された命令は、「泡盛とゴザを持って、
今は観光地となっているのでこのようなことはできないが、守礼
1時間ほどすると、2年生の先輩が「よし、帰って来い!」と。
いわゆる度胸試しである。
あの頃は本当にハチャメチャなことをしていた。
いや、ハチャメチャなことがまかり通る沖縄が、素晴らしいと思
一見ハチャメチャなことのように見えても、先輩たちが意図する
しかし、そのハチャメチャで楽しい首里キャンパスでの大学生活
ヤマト(本土)からの「管理教育」である・・・(つづく)
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