私が卒業した琉球大学には、実に個性的な先生方が多くいらっし
ゃいました。
私は教育学部小学校教員養成課程理科専修生でしたが、中学校教
員養成課程は「専攻生」と呼ばれていましたが、3・4年次の専門
課程ではほぼ専攻生と同じカリキュラムをこなしていました。
私は無機化学に行くか有機化学に行くか悩んでいましたが、担任教官の先生に「無機も有機も基礎科目はほぼ同じ」とか言われて、だれも研究生がいなかった「有機化学」の研究室に入りました。
が・・・
ほぼ、教育学部と理学部・農学部を往復する日々を過ごしていました。基礎科目は理学部生と学ぶこともあり、かなり刺激を受けました。
教育学部でも、その当時(80年代)問題になっていた酸性雨に関する基礎講座を受けたり、担当教官のススメであの有名な木村政昭先生の講座を受けたりしました。
木村政昭先生は、琉球海底王国の遺跡や富士山が爆発する可能性などで、テレビでも何度か紹介されていますが、その当時の木村先生の研究は「地下ダム」でした。面白い研究をされていました。
で、農学部にも顔を出すことがあり、教養課程のスペイン語講座の先生のご紹介で、あのEM菌の比嘉照夫先生とお知り合いになることができました。
教育学部生のくせして、あっちこっち出没していました。
◇◇
その当時、まだ「環境教育」という概念はなかったのですが、私が教員になった85年以降から数年の間に、地球との共生をはかる環境教育の確立を求める機運が
高まっていました。
また、あの有名なロックバンド、ポリスのスティングさんが、個人で熱帯雨林を保護する活動を展開していました。
教員3年目の若造教師の私は、教育雑誌に環境教育の基礎理論に関する論文が掲載。その論文を読まれたヤマハの担当者が、なぜか私にコンタクトを。
当時ヤマハは、スティングさんの熱帯雨林を保護する活動をサポートしていました。ヤマハは、1990年に行われた「大阪花博」で、これからの地球を子どもたちの手で変えて行かなければならない、ということで、「子ども地球環境会議」なるものを模索していました。
スティングさんのいる熱帯雨林と大阪花博会場とを衛星で結び、熱帯雨林の現状を子どもたちに見てもらうことと、環境破壊、自然破壊のない21世紀にするためにはどうすればよいかを考える会議にしたい。
という、壮大な構想でした。
その構想を実現させるためには、やはり、教育現場にいる先生の力が必要ということで、なぜか私に白羽の矢が・・・
もちろん、二つ返事でした。
現役の教師をしながら、休日は東京や大阪に出かけるなどの日々を過ごしていました。もちろん、一緒に企画書や運営に関することも行なっていました。スティングさんとはお会いすることはなかったのですが、メッセージはいただいたりしていました。
が、衛星中継や同時通訳等にかかる費用の捻出がネックになり、資金調達が難しいということで、実現する頃はありませんでした。
◇◇◇
あれから20年以上経ち、21世紀に入りました。
が、子どもたちを取り巻く環境はいかがでしょうか?
環境問題への取り組みは進んではいますが、ご存知のように福島第一原発事故による放射性物質の汚染の拡大等、子どもたちだけではなく、地球を取り巻く環境は決して良いとは言えず、悪い方向へ向かっているとしか言えない状況です。
また一方では、自然環境を保全する動きが活発で、記憶に新しいかと思いますが、今月、綾町が「ユネスコ・エコパーク」の認定を受けました。
このような素晴らしい「自然遺産」はこれからも守り続け、子どもたちへ受け継いでいかなければなりません。
◇◇◇◇
そこで、幻となってしまった「子ども地球環境会議」を復活させ、綾町で実施できないだろうかと考えています。
ただ、考えているだけです。
衛星中継や同時通訳システムなどはいりません。手づくりの会議で良いかと思います。
素晴らしい自然環境が残されている宮崎県から、このような形で発信することは大きな意義があるのではないかと考えています。
もちろん、原発・エネルギー問題も取り上げなければなりません。
せっかく、企画書まで作り上げたので、なんとかやってみたいですね。
うん?
ところで、企画書はどこに眠っているんだろう?
探してみます(^_^;)
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