私が卒業した琉球大学には、実に個性的な先生方が多くいらっし
私は教育学部小学校教員養成課程理科専修生でしたが、中学校教
私は無機化学に行くか有機化学に行くか悩んでいましたが、担任
が・・・
ほぼ、教育学部と理学部・農学部を往復する日々を過ごしていま
教育学部でも、その当時(80年代)問題になっていた酸性雨に
木村政昭先生は、琉球海底王国の遺跡や富士山が爆発する可能性
で、農学部にも顔を出すことがあり、教養課程のスペイン語講座
教育学部生のくせして、あっちこっち出没していました。
◇◇
その当時、まだ「環境教育」という概念はなかったのですが、私
高まっていました。
また、あの有名なロックバンド、ポリスのスティングさんが、個
教員3年目の若造教師の私は、教育雑誌に環境教育の基礎理論に
当時ヤマハは、スティングさんの熱帯雨林を保護する活動をサポ
スティングさんのいる熱帯雨林と大阪花博会場とを衛星で結び、
という、壮大な構想でした。
その構想を実現させるためには、やはり、教育現場にいる先生の
もちろん、二つ返事でした。
現役の教師をしながら、休日は東京や大阪に出かけるなどの日々
が、衛星中継や同時通訳等にかかる費用の捻出がネックになり、
◇◇◇
あれから20年以上経ち、21世紀に入りました。
が、子どもたちを取り巻く環境はいかがでしょうか?
環境問題への取り組みは進んではいますが、ご存知のように福島
また一方では、自然環境を保全する動きが活発で、記憶に新しい
このような素晴らしい「自然遺産」はこれからも守り続け、子ど
◇◇◇◇
そこで、幻となってしまった「子ども地球環境会議」を復活させ
ただ、考えているだけです。
衛星中継や同時通訳システムなどはいりません。手づくりの会議
素晴らしい自然環境が残されている宮崎県から、このような形で
もちろん、原発・エネルギー問題も取り上げなければなりません
せっかく、企画書まで作り上げたので、なんとかやってみたいで
うん?
ところで、企画書はどこに眠っているんだろう?
探してみます(^_^;)
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