1993年から96年の3年間の上海日本人学校の記録です。
当時、上海日本人学校は旧文部省(文部科学省)の「現地理解教育」の研究校として、社会科の副読本づくり等を行っていました。その当時に撮影しました。
1993年当時、上海日本人学校は梅隴鎮にあり「梅隴校舎」と呼ばれていました。
当時の全校児童生徒(小学部・中学部)は90人を少し超えていたぐらいです。
1994年7月に梅隴鎮政府との契約終了のため、これまでの梅隴校舎から閔行区の上海師範大学南側の桂林西街の校舎に移転しました(桂林西街校舎)。
1993年5月には、上海日本人学校運営委員会で日本人学校独自の校舎を建設することが決定していて、資金調達、中国政府から土地貸借に関する交渉等が続けられ、1995年8月、日本人が多く住む虹橋地区に新校舎の建設工事が始まりました。
新校舎完成までこの桂林西街校舎で過ごしましたが、これまでの梅隴校舎同様、運動場が思うように使えなかったため、運動会やマラソン大会などの時は、近くの長青小学校や閔行区体育場を借りて行っていました。
この動画は、帰国後、宮崎県の国際理解教育に関する研修会で発表するためにまとめたものです。
Hi8テープからの動画ですので、映像の乱れ等はご了承ください。
どうぞ、ご覧ください。
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