今日もまちなかに出かけましたが、にわかゲーマーというか、馬鹿が歩きながら「Pokemon Go」をやっていますね。
問題は、「使い手のモラル」。
一番街で、いい歳したオヤジが歩きスマホでPokemon Goをしていたので、注意した。
要するに、馬鹿なのは「Pokemon Go」でスマホゲーム、ソーシャルゲームをはじめてやり始めた連中と、いわゆる「プロ」と名がつくほどゲームが好きで、人よりも先に先に行きたい連中。
何ごとも「ほどほど」が大切ということ。
それを越すとだめですね。そればっかりじゃ、「スマホの奴隷化」ですわ。
あくまでもゲームなんで、何かのきっかけにすることはあっても、ゲーム自身が目的、目標になってしまってはおしまい。
今日も県総合文化公園に行きました。
小学生たちはセミ取りやボール遊び、中高生や大人は「Pokemon Go」・・・。
「石井十次像」「小村寿太郎像」「高木兼寛像」などと、郷土の偉人の像がポケストップになっているにも関わらず、郷土の偉人よりもポケモンとは・・・
もし、家族で総合文化公園に行く機会があれば、Pokemon Goをしながら、
ポケストップでお父さんが
「この石井十次さんは・・・」
って子どもにお話をしてあげると素敵ですね。
これが、教育ですわ。
Pokemon Goを利用して、子どもたちの興味関心を引き出すことは保護者の役目。
その保護者が「やった、コラッタ、ゲット!」じゃ、馬鹿親ですわ。
家庭教育などできやしない。
モンスターペアレントという、バカモン(馬鹿なモンスター)になるだけです。
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