私は元日南市民で、トータルで6年ほど住んでいました。
私が初任で飫肥小学校に赴任したのは、1985(昭和60)年ごろでした。
その頃は、飫肥だけではなく油津にも子どもは多く、この油津商店街も賑わっていましたね。
初任の頃は星倉に住んでいて、その後結婚して飫肥に住んでいました。飫肥って夜は寂しく何もないんですよね。ですんで、よく2人で油津まで遊びに出かけていましたね。
ま、閑散とした商店街をどうしても活性化させなければならないのか、そのままで良いのか議論は分かれるところですが、商店街の皆さんのお考えはどうなんでしょうね。
きちんとやっていけるお店もあるわけで、行政のお金を投入してまで無理矢理に店舗数を増やしたって、それがどのくらい続くのか、ということです。
超高齢社会、人口減少社会において、このままのシステムで補助金投入で街をいつまで活性化させることができるのか、甚だギモンです。
ただ、人が集まればいい、どんどんイベントを打って人を集めればいい、企業誘致、大型クルーズ船・・・。
ま、やらないよりはやったほうがいいかもしれませんが、持続的な効果は得られないでしょうね。
根本的なこと、なぜ少子高齢社会になったのか、なぜ若者は結婚しようとしないのか、なぜ、1980年代に20年、30年後を見据えた対策をとってこれなかったのか。
今更ながらの感はありますが、そのような失策は今後は繰り返してほしくないですね。
1980年代に日南市で生活していた私からすれば、あの飫肥や油津の活気はいつまでも続くのではないかと感じていました。いや、今でも続いてほしいと願っています。
そのためにも、地に足のついた施策を進めてほしいものです。
そして、行政のリーダーには、もっと己に厳しく市民には優しく愛情をもって接してほしいですね。
今回日南市で起きている市長に関する「ウワサ」は、そのウワサをもっと多くの市民の方に知ってほしいというか、ウワサだけではなく、広く市政にもっと関心を持たなければならないかと思います。
選挙で選んだリーダーの「公僕」としてのすべてを市民の皆さんは見つめ、知り、考え、行動していかなければ、一部の人間だけで行政が動いてしまうことになり兼ねません。
それでは、「市民のための政治」とは言えません。
私のような市民メディアは「時の権力者」を監視すると、偉そうなことを言っていますが、到底、監視するようなことはできません。
私よりも市民の皆さんのほうが、何倍も何十倍も詳しいはずです。
日南市だけでなはく、私たちが住んでいる街を良くする、街を良くしていくリーダーを選び、見守っていく(監視する)ことが大切でしょうね。
今日はとても良いお天気で、帰るのがもったいないくらいでしたね。
さて、明日はどんなことが起きるのでしょうか。
自分に正直に生きていきたいものです。
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