2015年6月27日。
海上自衛隊の潜水艦救難艦「ちはや」が、初めて宮崎県日向市の細島港に入港しました。
動画を4本公開しましたので、どうぞ、ご覧ください。
【潜水艦救難艦「ちはや」】
「ちはや」(JS Chihaya, ASR-403)は、海上自衛隊の潜水艦救難艦、計画番号はJ141。
艦名は千早城に由来し、この名を受け継いだ日本の艦艇としては4代目である。
老朽化していた「ふしみ」(46ASR)の代替艦として建造された。設計面では、潜水艦救難母艦「ちよだ」(56AS)の拡大改良型とされており、潜水艦母艦機能を廃する一方で医療設備を強化している。
DSRV運用のため、船体中央部にムーンプール(センターウェル)を備えるという基本構成は56ASと同様だが、船首楼は艦橋構造物付近まで延長され、基準排水量にして1,800トン大型化している。
これによって、従来は暴露部に格納されていた装備も艦内に収容できるようになった。
また遭難現場へ迅速に進出できるよう高速巡航能力に意が払われており、造波抵抗低減のためバルバス・バウが採用されているほか、センターウェル下部には艦底閉鎖装置が設けられている。これは2分割した閉鎖板を油圧によって開閉する方式であり、スライド式や内開き式などの構造が検討されたが、救難という任務に求められる確実性から、外開きによる観音開き方式が採用された。
主機関としては三井造船12V42M-Aディーゼルエンジン2基を備えている。
これは「ちよだ」で主機関とされた直列8気筒機関と同系列だが、V型12気筒とすることで出力を増強したものであった。
推進器としては、可変ピッチ・プロペラ2軸のほか、艦首と艦尾にサイドスラスターを2基ずつ備えている。
これらは、「ちよだ」と同様に艦位保持装置(Dynamic Positioning System, DPS)を装備しており、洋上の一点に静止することが可能である。
【艦歴】
「ちはや」は、中期防衛力整備計画に基づく平成8年度計画潜水艦救難艦1103号艦として、三井造船玉野事業所で建造され、1997年10月13日起工、1998年10月8日進水、2000年3月17日に就役の後に第1潜水隊群直轄艦とされた。
・2001年2月10日に発生したえひめ丸事故の遺体捜索の要請を愛媛県から受けた政府は防衛庁に対応を求め、災害派遣をもって2001年8月から遺体捜索作業を行った。
・2002年4月に実施された「国際潜水艦救難訓練Pacific Reach 2002」に参加。荒天にもかかわらず全てのオペレーションを成功させた他、DSRVは当初予定のソフトメイト(沈没潜水艦への達着)だけでなく、ハードメイト(ハッチを開ける、より実際的な救難訓練)も成功している。なお、
この時点で、輸送ヘリコプターMH-53Eシードラゴンは着艦訓練には成功していたが、レギュレーションが承認されていなかった為に、代表取材陣や参加国海軍高官はいったん旗艦ぶんごにMH-53で移動し、「ぶんご」と「ちはや」の間はSH-60Jで移動した。
【要目】
排水量:基準5,450t / 満載6,900t
全 長:128.0 m
全 幅:20.0 m
深 さ:9.0 m
喫 水:5.1 m
機 関:三井造船12V42M-A、ディーゼルエンジン×2基
推 進:可変ピッチ・プロペラ×2軸
サイドスラスター×4基
出 力:19,500PS
速 力:21ノット
航続距離:6,000海里 (13kt巡航時)
乗 員:125名
搭載艇:深海救難艇(DSRV)×1隻
11メートル作業艇×2隻
無人潜水装置 (ROV)
搭載機:ヘリコプター甲板のみ
レーダー:航海用×2基
その他:深海潜水装置 (DDS)
大気圧潜水装置
自動艦位保持装置 (DPS)
ご覧いただき、ありがとうございます。
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