【PJニュース 2010年11月15日】
11月7日、みやざき臨海公園(宮崎市)で、泉谷しげるさんらが発起人となった「水平線の花火と音楽」(同実行委員会)が開催さ れた。口蹄疫発生当時から宮崎を応援し続け、口蹄疫終息後は「宮崎のために何かをしたい」という泉谷さんの思いが、口蹄疫義援ライブという形で実現した。 「畜産農家が復興するまで7年間は続けたい」という泉谷さんの思いに応えたのは、宮崎県民のボランティアたちであった。
9月28日に宮崎 県から会場の使用許可が下り、翌29日には宮崎県庁で記者会見が行われた。とにかく開催日までの日数が少ない中、10月に入ってすぐにボランティアの募集 が始まった。イベントをトータルして約300人のボランティアは必要だろうということで、公式HPだけではなく、ツイッターや口コミなどを通じて、ボランティアを集めた。
事務所のホワイトボードには、現在までのボランティアの応募状況が記されていた。100人を超えた頃から、ボランティア にある傾向が見られた。男性よりも女性のほうが多いのである。宮崎の女性パワーのすごさを知った。また、地元の高校からも教頭先生が中心になって募集をか け、40人もの高校生が集まった。
事務所でも女性パワーはすごく、「1年に1本ずつ旗を揚げよう」「イベントカラーを決めよう」などとアイデアが生まれ、「宮崎県民がつくるイベントに」という泉谷さんの思い通りに準備が進められた。
10月27日夜、宮崎市内で泉谷しげるさんをお迎えして「ボランティア決起集会」が行われた。泉谷さんも腕にボランティアの証である赤いリボンを巻き、100人を超えるボランティアを前に、ボランティアとしての心得などを熱く語った。
ボランティアのアイデアでつくられた旗に、泉谷さんがメッセージを書き込み、文字通りの旗揚げ式となった。ボランティアの数も、目標の300人に届くところまでになった。
11月7日、イベント当日。
それぞれの持ち場に散ったボランティアたちは、会場に足を運んでくださった観客のみなさんに対して、笑顔で接していた。
「ゲートが開くまでにたくさんのお客様の不安と心配の声。大事な第一回のイベント、安心・安全に誘導するため私に何ができるか考えて、大声でご案内してまわりました」と、泉谷さんのブログのコメントにあったように、初めてボランティアとして参加した方も」多かった。
しかし、「帰りに、ありがとうございましたと声をおかけしていたら、逆にたくさんの『ありがとう』の言葉をいただけて、ウルウルきちゃいました」とあるように、このイベントを通じて、多くのものを得たボランティアも少なくない。
また、泉谷さんのブログには、「ボランティアの皆さん、お疲れ様です。ありがとうございました。来年に向けて、私も一歩踏み出します」などと、観客のみなさんからのコメントも多く見られた。
まさに、出演者、スタッフ、ボランティア、観客が一体となったイベントであった。私の周りでも、「来年はボランティアとして参加したいです」という、多くの若者の声を聞いた。
今後7年間、宮崎の新たな祭りとして続けていく鍵は、このボランティアのパワーにある。宮崎県民ボランティア泉谷組は、これからも泉谷さんの熱い思いにこたえるべく、活動を続けていくことだろう。【了】
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パブリック・ジャーナリスト 大谷 憲史
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