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知らなかったです。
元T-BLANのボーカル 森友嵐士さんが、14年もの間、心因性発声障害と闘っていたとは・・・
歌手の命である「声」を失うことは、生きる道を失ったのも同然で、さぞ大変だったことと思います。
様々な障害や困難を乗り越える力を人間は持っていますが、森友さんの周囲にいる「仲間」たちの影響も大きかったことと思います。
人間って、生きるって、すばらしいことだと思います。
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私は、「先天性白内障」をわずらたままこの世に生まれてきました。
医学の進歩で白内障の治療はずいぶんと進みましたが、私のことはそうでもなく、手術に耐えれらるようになった5歳のころに、通算1年ほど入院し、8回も手術を受けました。
しかし、手術自体は成功したものの、視力はまったくで出ず、左眼はほぼ失明状態に。
すこしでも視力を上げようと、牛乳のそこのような分厚いレンズの眼鏡をかけて小学校に通いましたが、かっこうのいじめの対象になってました。
中学校に上がる頃には、視力を上げるような医療行為をやめ、このままの状態で生活することに決めました。
「あなたは片方の眼しか見えないので、人がすることの2倍の時間をかけてやりなさい・・・」
これが母の口癖でした。
いろいろなことに挑戦しました。
いじめられていたことと、「水戸黄門」「必殺仕事人」などの時代劇が好きだったこともあり、剣道はずーっと続けてきました。さすがに、立体感がなかなかつかねないため、球技には苦労しました。
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私もいろいろな方々にご迷惑をおかけしながら生きてきました。
たぶんこれからも(今もだけど・・・)、迷惑をかけるかと思います。
先天性の病気だっため、車の運転免許は取得することができました。ここ10数年、無事故・無違反です。
右眼しか見えず、まっすぐではなく、あっちこっちにぶつかりながら生きてきました。まさしく、「ヨンゴヒンゴな人生」です。
しかし、私以上に大変な方々は、この世にはたくさんいらっしゃいます。みなさん、一生懸命生きていらっしゃいます。自分の生きる目的を見失うことなく、1日1日を満足に生きていきたいと思います。
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なんでこんなこと書いたかというと、最近、大切な右眼の調子が思わしくないためです。
これまで40数年、右眼だけに頼ってきたツケが回ってきたのでしょう。
まだ病院には出かけていませんが(怖くて行けない・・・)、ちょっと様子をみたいと思います。
完全に見えなくなる前に、もう一度、息子や娘の顔を見たいものです。
大きくなっただろうなあ・・・
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私がこれまでご迷惑をおかけしたことへの恩返しができればと、この8年ほど、市民活動を続けていますが、なんか、だめですね。
ヘタレですわ。
自分が情けない。
泉谷しげるさんにも怒られた。
2016年まで、この右眼、大丈夫かな?
ま、私には時間がないことだけは確かなようです。
さて、作業を続けよう。
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