2 佐賀銀行取り付け騒動
☆騒動の一部始終
2003年12月、裏付けも何もない主婦のメールがもとで、大きな事件が起きた。
この2003年(平成15年)、佐賀県では経済に絡む事案が複数起きていた。
同年3月11日。
3月末に佐賀県内最大手、九州最大手の松尾建設が、53歳以上の全社員をリストラするとの報道があった。
同年8月。
佐賀県内で中小事業主を対象に共済事業と貸付け事業を行っていた佐賀商工共済が、運用の失敗を隠すため粉飾決済を行い破綻した。
同年11月。
佐賀銀行及び連結子会社等の2003年度通期の業績見通しについて、経常損失は193 億円、当期純損失は196 億円を見込んでいると発表した。
このような経済に絡む事案が佐賀県内で相次いで起きたことから、メインバンクである佐賀銀行に不安を感じる県民もいたのではないだろうか。
そして、
同年11月29日。
栃木県の足利銀行が破綻した。
マスコミは、銀行預金は全額保護されることを報道していたが、今回のことで、預金の引き出し手続きが煩雑であったり,引き出しに時間がかかったりするという問題が浮き彫りにされた。
同年12月3日。
インターネット上で、「足利銀行の次は九州北部のアノ有名地銀だ」という噂が流れた。
さらに、
同年12月10日。
佐賀市水ヶ江の豊栄建設が民事再生法を申請した。メインバンクである佐賀銀行は79億円が回収不能になる恐れがあると発表した。
このような事案が次々と報道される中、インターネットでさえ「足利銀行の次は九州北部のアノ有名地銀だ」という噂が流れるほどなので、リアルの口コミや井戸端会議では毎日の挨拶代わりになるほど懸案事項として佐賀県民の間では認知されていたのかもしれない。
そして、事件は起きた・・・
同年12月25日。
ある女性が、佐賀銀行のATMの前に多くの人が並んでいる様子を目にした。クリスマスや忘年会、年末の買い物で出費が多いのだろう、と通常は考える。
その後、佐賀県在住の女性(当時23歳)は、友人から「佐賀銀行が26日につぶれるらしい」という話を電話で聞いた。
昼間見た、佐賀銀行のATMの前に多くの人が並んでいたのはこのためか、と確信し、同日午前2時ごろ、26人の知人らにメールを送った。
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緊急ニュースです!
某友人からの情報によると26日に佐賀銀行がつぶれる
そうです!!
預けている人は明日中に全額おろすことをお薦めします(;・_・+
一千万円以下の預金は一応保護されますが、今度いつ佐銀が復帰するかは不明なので、不安です(・_・|
信じるか信じないかは自由ですが、中山は不安なので、明日全額おろすつもりです!
松尾建設は、もう佐銀から撤退したそうですよ!
以上、緊急ニュースでした!!
素敵なクリスマスを☆彡
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受信した人達がさらに別の知り合いに電話・メールをするなどしたことにより瞬く間に情報が広がった。
・同年12月25日午前
佐賀銀行に問い合わせやATMに並ぶ客が増え始め,銀行側も異常事態に気づく。
・同年12月25日午後
佐賀銀行がメールの現物を入手する。
・同年12月25日夕方
佐賀県内全域で携帯電話がつながりにくい状態になった。
・同年12月25日17:45
佐賀銀行は、悪質な虚偽の情報を電子メールで流し、同行の信用を著しく失墜させたとして相手不詳のまま、信用毀損罪で佐賀警察署に刑事告訴し受理される。
・同年12月25日17:50
佐賀銀行の頭取が記者会見を行う。
・同年12月25日夜
財務省福岡財務支局は支局長名で緊急のコメントを発表し、佐賀銀行について「悪質な電子メールにあったような事実は全くなく、銀行の経営内容、健全性、資金繰りは問題ない。預金者には冷静な対応をお願いしたい」と呼びかけた
女性が流した1本のメールが、たった1日でこのような事態にまで拡がっていった。1日で通常の2倍の180億円の預金が引き出されたり解約されたりした。総額では500億円に上る。
さらに、
・同年12月26日10:30~
当時の竹中内閣府特命担当大臣(金融、経済財政政策)が記者会見を行う。
当時の記録は、金融庁「竹中内閣府特命担当大臣(金融、経済財政政策)記者会見要旨」で確認できる。
この大臣の記者会見を受けて、この事件は沈静化に向かった。佐賀銀行も日本銀行等の支援を受けて立て直しを行った。
翌2004年(平成16年)2月17日。
メールを送信した発信元の女性が書類送検された。
女性は佐賀県警の調べに対し、「本当に信じ、友人に教えようと思った。こんなことになりびっくりした。悪意はなかった」と語り、反省したとのこと。
同年9月9日。
佐賀地検は「佐賀銀行の信用を傷つけようとした犯意を認めるに足る証拠がない」として、女性を不起訴処分とした。
これが「佐賀銀行取り付け騒動」の一部始終である。
当時はもちろんツイッターなどのSNSはなく、電子掲示板などが主流であった。個人間のコミュニケーションも携帯電話での通話、メール送信が主で、そのメールが問題となったのである。
社会的には佐賀銀行取り付け騒動となっているが、インターネット上では「佐賀銀行デマメール事件」「佐賀銀行チェーンメール事件」などとも呼ばれている。
チェーンメールとは、連鎖的に不特定多数への配布をするように求める手紙である。かつて「不幸の手紙」や「幸福の手紙」と呼ばれたものが典型的な例である。インターネットにあっては、手紙がメールに変わる。
当初女性は26人にメールを送ったのだが、結果的にどのくらいの人間に拡がっていったのかは確認されていない。メールだけではなく、口コミや電話でも拡がっていった。
現在はSNSが主流であるが、もちろん、メールも利用されているので、このような事案が起きる可能性は十分にある。
☆何が問題なのか
この佐賀銀行取り付け騒動では、根拠も裏付けも何もなかったメールを女性が送信したことが、大きな問題である。
女性は、
・報道等で、佐賀県内で起きた一連の経済事案について知っていた。
・報道で足利銀行が破綻したことを知っていた。
・一千万円以下の預金は一応保護されることを知っていた。
・佐賀銀行のATMの前に多くの人が並んでいるのを見た。
・友人から「佐賀銀行が26日につぶれるらしい」という話を電話で聞いた。
これらの情報を元にしてメールを作成した。
もちろん、一般人である女性がこれらの情報を元に裏付け取材を行うことはなく、ましてや、友人の言葉に疑う余地もない、そのまま信じてしまった。
「他人が発するすべての言葉の裏を取れ!」とは言わないが、「佐賀銀行が26日につぶれるらしい」という情報は冗談や噂話で済まされるわけではない。デリケートな話題については、やはりデリケートに扱わなければならない。
それを別の友人など26人に送信すること自体も考えられない。今で言えば、ツイッターで26人のフォロワーに送信したということであり、拡散も時間の問題である。
人間は他人から聞いた情報を自分だけのモノにするのではなく、他人と共有することで自分の存在意義を確認するという変な特性を持っている。
また、自分が周囲からどう見られているかを気にする人間は、自ら事実ではない情報を発信することもある。
デマ情報を流すことで自分を優位に持って行ったり、他人を貶めようとしたりする。
佐賀銀行取り付け騒動の女性の場合、その犯意は確認されなかったが、悪意のない行為が、一番質が悪いのかも知れない。
本人が無意識で行ったこと、良かれと思って他人に対して行ったことが、他人から見れば「犯罪行為」だと思われることもある。
佐賀銀行取り付け騒動の女性は不起訴処分となったが、総額で500億円以上の金が動いたのである。とても恐ろしいことである。
☆豊川信用金庫事件と構図は同じ
少し古くなるが、1973年12月に発生した「豊川信用金庫事件」をご存知だろうか。
ウィキペディアから事件の流れを紹介したい。
・1973年12月8日(土)。
登校中の飯田線車内で、豊川信用金庫に就職が決まった女子高校生Aを、友人B・Cが「信用金庫は危ないよ」とからかう。
この発言は同信金の経営状態を指したものではなく、「信用金庫は強盗が入ることがあるので危険」の意味で、それすら冗談であったがAは真に受けた。
その夜、Aから「信用金庫は危ないのか?」と尋ねられた親戚Dは、信用金庫を豊川信金だと判断して同信金本店の近くに住む親戚Eに「豊川信金は危ないのか?」と電話で問い合わせた。
・同年同月9日(日)。
同信金本店の近くに住む親戚Eは美容院経営者のFに、「豊川信金は危ないらしい」と話した。
・同年同月10日(月)。
Fが親戚Gにこの話をした際、居合わせたクリーニング業Hの耳に入り、彼の妻Iに伝わる。
・同年同月11日(火)。
小坂井町の主婦らの間で豊川信金の噂が話題となり、通りがかりの住民の耳にも入る。この頃、噂は「豊川信金は危ない」と断定調になる。
・同年同月12日(水)。
街の至るところで、豊川信金の噂の話題が持ちきりとなる。
・同年同月13日(木)。
Hの店で電話を借りたJが「豊川信金から120万円おろせ」と電話の相手に指示した。Jは噂を全く知らず、ただ仕事の支払いで金を下ろす指示をしただけだったが、これを聞いたIは同信金が倒産するので預金をおろそうとしていると勘違いし、慌てて同信金から180万円をおろした。
その後、H・Iは知人にこの話を喧伝、これを聞いたアマチュア無線愛好家が、無線を用いて噂を広範囲に広める。
この後、同信金窓口に殺到した預金者59人により約5000万円が引き出される。
同信金小坂井支店に客を運んだタクシー運転手の証言によると、昼頃に乗せた客は「同信金が危ないらしい」、14:30の客は「危ない」、16:30頃の客は「潰れる」、夜の客は「明日はもうあそこのシャッターは上がるまい」と時間が経つにつれて噂は誇張されていく。
・同年同月14日(金)。
事態の収拾のため、同信金が出した声明が曲解され、パニックに拍車が掛かる。
その後、「職員の使い込みが原因」、「理事長が自殺」という二次デマが発生し、事態は深刻化する。
信金側の依頼を受け、マスコミ各社は14日の夕方から15日朝にかけて、デマであることを報道し騒動の沈静化を図る。
・同年同月15日(土)。
大蔵省東海財務局長と日本銀行名古屋支店長が連名で同信金の経営保障をする。自殺したと噂された理事長自らが窓口対応に立ったことも奏功し、事態は沈静化に向かう。
・同年同月16日(日)。
警察がデマの伝播ルートを解明し、発表する。
以上である。
多くは語らないが、インターネットがなかった時代、電話やクチコミ、アマチュア無線でデマが拡がっていった。
いつの時代においても、裏付けのない情報は危険であるということだ。
(続く)
【出典・参考サイト】
・豊川信用金庫事件(ウィキペディア)
3 日向市で起きた問題の裁判
4 インターネットにおける名誉毀損とその責任
5 裁判後のこと
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